月刊専門料理2025.7 「スペシャリテを創れ」を分析
- 川崎寛也
- 2 日前
- 読了時間: 8分

今月の月刊専門料理の特集は、「スペシャリテを創れ」でした。
技術論も好きですが、やはりその両輪である「考え方」にとても興味があります。
考え方については、「料理のアイデアと考え方」でも紹介した研究があります。
この時は、柴田日本料理研鑽会の記事を分析しました。
ラダリング(laddering)とは、主に心理学やマーケティングリサーチの分野で用いられる深層インタビュー技法の一つで、対象者の「選好の理由」や「価値観の構造」を探るための手法です。特に、商品や体験に対する「なぜそれが良いのか?」を掘り下げるために使われます。
■ ラダリングの基本構造:手がかりとなる三層構造
ラダリングでは、以下の3つの階層を辿るように質問を繰り返します。
属性(Attribute)
→ 商品や体験の「特徴的な要素」。例:「この料理は地元の野菜を使っている」
機能的/情緒的ベネフィット(Consequence)
→ その属性がもたらす「結果」。例:「新鮮な味わいが楽しめる」「安心感がある」
価値(Value)
→ その結果がつながる「根本的な価値観」。例:「自然との調和」「家族の健康を守る」
■ ラダリングの進め方(例)
表層的な好みを聞く
「この料理のどこが気に入りましたか?」
→ 回答:「盛り付けがきれいだった」
なぜそう思うのかを深掘りする
「なぜ盛り付けがきれいだと良いのですか?」
→ 回答:「季節を感じられるから」
さらに価値へと遡る
「なぜ季節を感じることが大事なのですか?」
→ 回答:「自然と共に生きていると感じられるから」
このようにして「表面的な好み」から「価値観」へと“はしご(ladder)”を登っていく構造から、「ラダリング」という名称がついています。
■ 料理分野での活用例
料理人やレストランの創作において、ラダリングは以下のように応用可能です:
ゲストがどんな料理に価値を感じるのかを探る
→ 例:「なぜ地元の旬食材がいいのか?」→「地域への愛着」→「自分のルーツへの誇り」
自分の料理哲学の再発見
→ 「なぜバランスにこだわるのか?」→「自然の摂理を表したい」→「料理で宇宙を語りたい」
ブランド構築やスペシャリテ創作の背景構築
→ ダニエル・カルバート氏やHAJIME米田氏のように、料理の根底にある「意味」や「世界観」を掘り下げるプロセスで応用されます
そこで、今回は、今月の月刊専門料理の特集記事「スペシャリテを創れ」の文章全体に対して同様の手法であるラダリング(laddering)の技術を適用し、全シェフの言説を横断的に分析して、共通または対照的に現れる思考パターンを以下の3層に分類しました:
属性(Attribute):料理の具体的な構成要素・特徴・行動
情緒的・機能的ベネフィット(Consequence):その特徴がもたらす結果、ゲストや料理人にとっての意義
価値観(Value):さらにその背景にある深層的な信念や世界観
また、これらを導出するラダリングの「掘り下げプロセス」も併記します。
全体的なラダリング分析(文章横断的)
【ラダリング1】
属性(Attribute)
「季節の食材」や「敷地内・地元の素材」を使用する
ベネフィット(Consequence)
ゲストが「今この土地に来た意味」を体感できる
料理がその時・その場の空気感を反映する
価値観(Value)
「自然との共生」「一期一会」「土地と人との調和」
ラダリングの思考プロセス
なぜシェフたちは、旬や土地にこだわった素材を用いるのか?
→ それは「今しか得られない味覚体験」を提供するため。
→ では、なぜ“今しかない”ことが重要なのか?
→ ゲストの感性をその瞬間に集中させ、自然や風土との一体感を生むから。
→ さらに掘り下げると?
→ 料理とは「自然と人の共生の表現」であり、刹那的な美しさ(一期一会)を祝福する行為だから。
【ラダリング2】
属性(Attribute)
「シェフ自身の感覚で仕立てを調整する(天気・気候・気分)」
「マニュアル化を拒み、都度変化させる」
ベネフィット(Consequence)
レシピではなく「生きた表現」としての料理になる
ゲストの“今”に共鳴した、唯一無二の一皿が生まれる
価値観(Value)
「人間の感性の尊重」「機械ではない“人間の料理”」
ラダリングの思考プロセス
なぜ料理をレシピに固定せず、天気や気分で微調整するのか?
→ 毎日異なる“今日の自分”や“今日のゲスト”と向き合うため。
→ なぜその日ごとの違いを尊重するのか?
→ 料理は“人間が人間のために作る”ものだから。
→ なぜ人間らしさを重視するのか?
→ 人間の料理にしか宿らない、感情や共鳴があると信じているから。
【ラダリング3】
属性(Attribute)
「料理を通じて哲学や世界観を伝える(宇宙、神、時間など)」
「科学・芸術・宗教・記憶のテーマを料理に持ち込む」
ベネフィット(Consequence)
ゲストに「考えさせる体験」や「世界への新たな理解」を与える
料理が感性や知性を“揺さぶる”メディアになる
価値観(Value)
「料理はアートである」「人間の認識を広げる手段」
ラダリングの思考プロセス
なぜシェフたちは抽象的・哲学的なテーマを料理に込めるのか?
→ 食べ手に“ただの味覚体験”を超えた衝撃を与えたいから。
→ なぜそんな衝撃が必要なのか?
→ 人は感性や認識を揺さぶられたときに、より深く記憶するから。
→ ではなぜ記憶や認識に訴えるのか?
→ 料理を「思考と感性の触媒」として使いたいという信念があるから。
【ラダリング4】
属性(Attribute)
「複数の文化・技術をかけあわせて再構成する」
(例:和食材×フランス技法、北京ダック×フレンチ)
ベネフィット(Consequence)
他にはない独自性、文化的驚きが生まれる
「自分の店らしさ」が明確に立ち上がる
価値観(Value)
「自己の文化的アイデンティティの探求」
「異文化への敬意と再構築」
ラダリングの思考プロセス
なぜ異文化の技術や概念を混ぜるのか?
→ 食文化の文脈を再編集し、自分らしい新しい意味を与えるため。
→ なぜ新しい意味が必要なのか?
→ 「その料理がこの店のものである」と強く印象づけるため。
→ なぜそれが大切なのか?
→ シェフという職業は、自己表現でもあり、文化の解釈者でもあるから。
【ラダリング5】
属性(Attribute)
「ゲストの体験順序、構成、器、空間、風景まで含めた設計」
(例:最初に出す品に“驚き”や“楽しさ”を仕込む)
ベネフィット(Consequence)
五感を巻き込んだ没入体験が成立する
料理が「物語」になる
価値観(Value)
「食とは身体知・記憶・物語の統合的表現」
「感性と構築力の調和」
ラダリングの思考プロセス
なぜ料理の順序や器まで徹底的に設計するのか?
→ 味だけでなく、全体の“体験”としてゲストの記憶に残したいから。
→ なぜ記憶に残すことが重要なのか?
→ 食事は一度きりの芸術であり、人生に刻まれるものであってほしいから。
総合表(抽出まとめ)
属性(Attribute) | ベネフィット(Consequence) | 価値観(Value) |
季節や土地の食材を使用 | 旬・場所の意味を体験させる | 自然との共生・一期一会 |
仕立てを気候や気分で調整 | 生きた表現になる | 人間の感性・感情の尊重 |
宇宙・神などのテーマを料理に | 認識を揺さぶる | 芸術としての料理 |
異文化の要素を再構成 | 独自性の創出 | アイデンティティと文化理解 |
全体を構成芸術として設計 | 没入体験になる | 物語・記憶・五感の統合 |
このように、シェフたちが語るスペシャリテ創作の核心には、単なる味の追求を超えた、自然との共鳴、感性の探求、文化の翻訳、記憶の創造といった、深い価値観が織り込まれています。
このラダリングが若い料理人にとって意味することは、単なる“料理の技術”を超えた、料理の意図・価値・哲学を自らの言葉で構造的に理解し、語れるようになることです。
1.「技術から哲学へ」の橋渡しになる
多くの若手料理人は、最初は技術の習得に集中します。切る・焼く・盛り付けるといった“手”の技はもちろん重要ですが、それが**「なぜそうするのか?」という問いに答えられるようになると、料理は単なる作業から思想のある表現**へと昇華します。
ラダリングは、それを視覚的に示すツールです。
「この食材を使うのはなぜか?」→ 「旬だから」→ 「今この土地に生きていることを伝えたいから」
というように、自分の料理を掘り下げ、意味づけるきっかけになります。
2.「自分の料理の軸」を早く見つけられる
経験の浅い料理人にとって、「自分はどんな料理をしたいのか?」という問いは非常に難しい。
ラダリングを通じて、
どんな属性に惹かれているのか(例:素材?器?構成?)
それによって何を伝えたいのか(例:安心感?驚き?)
自分が料理を通じて信じている価値は何か(例:自然との共生?文化の継承?)
を整理することで、方向性の確立や自己ブランディングにつながります。
3.スペシャリテや新作を考えるためのフレームになる
この図は“優れた料理”を模倣するのではなく、“自分がどう作るか”を導き出すツールです。
例えば、若い料理人が新しい一皿を考えるときに:
素材や技法を選ぶ(属性)
食べ手がどう感じるかを想像する(ベネフィット)
それが自分にとってどんな意味を持つのか考える(価値)
という思考フローで設計することで、他人と同じにならない、自分だけの皿が構築できます。
4.言語化力を身につけられる
現代の料理人には、以下のような機会が日常的にあります:
SNSでの発信
インタビューやメディア対応
海外との交流やプレゼンテーション
スタッフ教育
そのたびに「なぜこの料理なのか?」が問われます。ラダリングの構造を理解しておけば、自分の料理を深く、簡潔に、印象的に語る力が身につきます。
5.自己否定ではなく、自己対話のツールになる
若い時期は「自分の料理なんて…」と自信を失うこともあります。しかし、ラダリングは評価を目的とせず、問いを通して自分と向き合う道具です。
自分はなぜこの素材を使ったのか?
なぜこの構成にしたのか?
なぜこの一皿を届けたいのか?
こうした問いを繰り返すことで、自分の中にある価値観に気づき、それを育てる作業ができます。
ラダリングは、料理人にとって「言葉の包丁」になる
料理人が使う道具は包丁だけではありません。
ラダリングは、思考を研ぐための“言葉の包丁”であり、それによって自分の料理をより繊細に、より本質的に切り出すことができるのです。
若い料理人にこそ、この技術を身につけてほしい理由は、ここにあります。
あなたの料理は、どんな価値を、誰に届けようとしていますか?
その答えを探すための道具として、ラダリングはきっと役に立ちます。
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