日本料理とは何であろうか。日本人が作れば日本料理か?日本で作られた食材を使えば日本料理か?日本料理の醤油や味噌などの調味料を使えば日本料理だろうか?
「料理人の考えていること」の「8.日本料理らしいこと」について考える。
カバーの写真は茶席の庭にかかった橋であるが、紐がかかった、つまり人の手が入った石が置かれていることで、「この先に入らないでください」というメッセージを感じさせている。これが日本らしいメッセージの伝え方であり、日本料理で最も重要視される考え方である。
「風味における日本料理らしさ」
『味(基本味)』は普遍的なものであり、食文化の違いを形成するのは『香り』である。肉じゃがは海軍の料理人がビーフシチューを日本の調味料を使用して再現したものが発祥であるとされている。これは、『肉の加熱によるメイラード反応(デミグラスソース)』を『醤油と砂糖の加熱によるメイラード反応+醤油の発酵臭(醸造によるメイラード反応)』で代用したということである。つまり、日本料理は風味の複雑さを発酵食品で演出してきた、と言える。
現代では、若い人や外国人など和の調味料のもつ発酵臭がかつてほど求められない場合もある。植物は基本的に移動手段を持たないので、地域に固定的である。日本料理独特のハーブやスパイス、例えば「木の芽」「柚子」などがよく使われる。
「食材における日本料理らしさ」
日本料理の食材において、表現すべき点で最も重要な事は「季節感」の表現である。これは、日本には明確な季節があり、その時々の食材を食べることで、健康を保とうという考えのもとに発展した。いわゆる「旬」には「はしり」「さかり」「なごり」があり、単に旬の食材を使うだけでなく、一皿にそれらの食材を同時に盛り付けることによって、「季節の移ろい」を表現することもある。このような高度な表現は日本料理特有であるといってよい。
「外観における日本料理らしさ」
上述したように、季節感を表現することが重要であるが、その根本的な表現理由は、「自然」の表現である。従って、日本料理では、「人工的」や「わざとらしさ」を嫌う。具体的には、左右対称(シンメトリー)ではなく、アシンメトリーに盛り付けることが多い。真丈などを形作るときにも、表面を滑らかにしすぎるのではなく、ある程度ざっくりした点を残し、「ざんぐり」とした形にするのである。
さらに、日本料理では、正面を決め、そこから見て美しいように盛り付け、手前から奥に高くなるように盛り付ける。これは日本庭園の考え方とも共通していると言われている。フランス料理の写真を真上から撮るのをよく見るが、日本料理は手前から写真を撮った方が映える気がする。
さて、ここで一つの矛盾がある。「自然」を表現することが重視される日本料理において、本当の自然では、「手前から奥に高くなる」ような状態は存在しないし、シンメトリーな自然も存在する。
つまり、日本料理で表現している自然は、「本当の自然」ではなく、「作られた自然」なのである。茶の湯の基本的な心得を示した「利休七則」において「花は野にあるように」とある。これは、茶花を生ける際には、自然そのままではなく、自然に咲いている状態を想像させるように生けること、という意味である。
これは料理においても同様で、風景をそのままジオラマのように表現するのではなく、ある程度「抽象化」することによって、より自然を感じさせることが可能となると考えられている。
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