「品」とは定義のしにくい言葉であり、科学的な議論もしにくい感覚的な概念である。しかり、上品であることは、日本料理において重要であり、料理人の間である程度の共通認識はあるようである。
「料理人の考えていること」の、「9.品が良いこと」、について考える。
そもそも、食事は栄養素を摂取するためのものである。「おいしい」という判断は、栄養素を摂取することができた時になされるべきである。油脂の多いものや調味料の多い料理は、味が濃厚に感じられるため、栄養素密度(単位重量あたりの栄養素の量)が多いように感じさせられる。そのような料理は、分かりやすいおいしさを感じさせることができるが、日本料理では「品」がないとされてしまう。これはどのような理由によるのであろうか。
九鬼周造の『「いき」の構造』においては、品の意味は一意ではないが、ものに対しては、品質の優れたものを上品といい、人間の趣味においては、高雅なことであるとしている。高雅とは、気高くみやびやかなことである。「利休七則」の「花は野にあるように」で「自然そのままではなく、自然に咲いている状態を想像させるように」としたが、これは、「抑えた表現」をすることによって、客の想像力を刺激することができる、という考えのもとである。このようになかなか明確に定義することは難しいが、実利だけではない、創造性を重視している概念が「品」ではないだろうか。
料理においては、一皿に食材の数が多すぎないようにしたり、量が多すぎないようにしたりすることが重要であるとされるが、上記のような考え方が元になっていると考えられる。もちろん調味料を少なく使えばよいというものではなく、食材のもつ味や風味、食感を生かし、旨みや他の食材との相性を考えることで、品を感じさせるようにしなくてはいけない。
これは「機能美」に通じる考え方である。機能美は機能を追求した時に自然と現れる美しさで、「無駄のない、簡潔な美しさ」であるが、最低限の要素で表現される美として日本料理の美意識と共通するものがあると思われる。入っている要素すべてに機能をもたせる。それは、日本料理だけでなく、フランス料理だろうが、イタリア料理だろうが、中国料理だろうが同様である。お客にとって意味のあるものしか皿に乗せない。料理人の本能として「これ美味しそうだから乗せたい」となりがちであるが、それを止めて「お客さんの口の中で意味があるものか」と、盛り込む前にデザインすることが重要である。
例えばこの料理は、左でフォークを持ち、右でナイフを持つ場合、左から切らせることで、まず肉の美味しさを味わわせ、脂と肉が合わさった時点で下のソースとともに味わうようにしている。ある程度進んだところでガルニチュールを切りやすくなるため、ガルニチュールに行ける。
機能美については、盛り付けや味について考えた結果を後ほど掲載したい。
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