料理人に料理の科学、美味しさの科学を講演したり、文章を書いたりしていますが、料理人にとって「科学」は不要だったかもしれません。
しかし、最近は、科学的に考えることで、失敗を減らせたり、若い人に教えやすくなったり、新しい表現ができたり、と科学的に考えて技術に落としこむことに興味をもつ料理人が増えてきました。
そういう中で、料理人の持っている、科学者に対する距離感を縮めようと思い、講演の最初に、個人的なことですが、私にも「料理人の血が流れている」ことを話すことが多いです。
どういうことかというと、明治二十年あたりに、根室で、私の高祖父が、西洋亭という西洋料理の料亭を始め、大正には兵庫県で再開し、当方が小学生のころまで続けていた、という話です。
とはいえ、戦後は、当方の祖父が亡くなったこともあり、西洋料理を出せなくなったそうで、当方にとっては「名前は西洋亭なのに洋食じゃないのか」という疑問を持ったまま大きくなっていました。
しかし、祖母が数年前に亡くなったさいに、いろいろと写真が出てきて、これは面白いなと思い、探るうちに、北海道で資料が残っていることがわかり、北海道まで行ってきました。
せっかくなので、ブログに残して置こうと思います。
まずは加古川の西洋亭から。
これが私も記憶している、加古川の西洋亭の玄関です。
このブログのトップにロゴがあったかと思いますが、実は西洋亭のロゴでした。
西洋亭のマッチです。
これはおそらく加古川に移転後すぐ(大正?)のときの玄関です。
西洋亭ではなく、「西洋軒倶楽部」としていたようです。
それがいつまでだったのか、いつ西洋亭に戻したのか、は不明です。
どうやって調べたらよいのでしょうか。。
ビリヤード台を置いていたのが売りの一つだったようで、根室時代の西洋亭にもあったそうです。根室から運んだのかもしれません。
この時代はいつかわかりませんが、戦後は、西洋料理は出さず、お茶屋としてやっていたそうです。
曾祖母は、加古川の県立高校に西洋料理を教えに行っていたそうです。そのころのレシピを誰かが持っていてくれたら、ぜひ拝見したいです。
とりあえず、加古川時代の写真は以上です。
このあとは、根室時代の写真と長谷川徳太郎のことを載せる予定です。
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