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執筆者の写真川崎寛也

西洋亭のこと 2

西洋亭のこと1のつづきです。


祖母が亡くなる前にいろいろと写真が出てきました。


創業者は私の高祖父の長谷川徳太郎という人で、その人のことは次に書きます。


今回は根室で明治二十年代に創業した西洋亭の写真を。



根室 西洋亭 外観

これが、根室の西洋亭の外観です。

左に見える看板には

「SEIYOTEI HASEGAWA

MEALS SUPPLIED AT ALL HOURS

OF THE PREMISES OR SENT

OUT TO RESIDENTS

WINES & LIQOURS」

と書いてあります。

つまり、西洋料理ですが、フランス語ではなく、英語です。




これは、西洋亭の当時の広告です。根室の資料館の先生が複写を送ってくださいました。



根室西洋亭 宴会

これは、宴会の様子のようですが、詳細は不明です。



根室西洋亭 玉突き台

ビリヤード台があったのも売りだったようです。



おそらく柳田家の牧場

取引していた牧場の写真のようです。



二代目の長谷川繁次郎の写真です。



根室西洋亭 お客と?

長谷川繁次郎と妻まつゑ、お客と。

まつゑは、横浜の貿易商の丹波恒夫という方の姪だそうです。


丹波恒夫は、有名な浮世絵コレクターで、横浜歴史博物館にコレクションを寄贈し、丹波恒夫コレクションとして保存されているそうです。



広告以外は、実家に残っていた写真で、祖母に聞いても詳細は不明でした。


当時のレシピやメニューは、加古川の西洋亭まで保存されていなかったのです。

なので、創業者の長谷川徳太郎と、二代目の長谷川繁次郎が、西洋料理を出していたという確証がありませんでした。祖母の話を信じるしかありませんでした。


しかし、たまたま根室の資料館の先生が、「札幌の北海道立文書館にメニューがありそう」ということを見つけてくださいました。


次回はその話を書きたいと思います。







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